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夜神楽の里

2007年4月28日

九 州 山 地 ・ 夜 神 楽 の 里 

 

 折々九州中央山地の高千穂に出かける。夜神楽を見せて貰いに行くのだ。高千穂だけでなくその辺り・宮崎県北部には、平家の落人伝説で有名な椎葉(しいば)とか米良(めら)といった、オールナイトの夜神楽を毎年奉じている村々がある。いずこも雄大で繊細、磊落で清潔な山峡。古事記・日本書紀由来の天孫降臨信仰と物語を暮らしの流儀に畳み込み、日本屈指の神楽が伝承され続けている。

岩戸神社・岩戸神楽、「鈿(うずめ)の舞」

岩戸神社・岩戸神楽、「鈿(うずめ)の舞」

 岩戸神社・神楽殿でのお神楽を見た時は、当の神楽もさることながらそれを見ている子供達に感銘を受けた。幼稚園くらいの子供が何人も舞台の階にへばり付いて見ている。長時間ずっと見ている。一人、僕の目の前に一年生くらいの男の子が座っていて、後から母親らしい人に「ねえ、もう帰るよ」と声を掛けられた。すると「いや!おしまいまで見る!」と言っている。振り返った目がらんらんと輝いていて真顔で言っている。
 小さな女の子が笹を手にして、眼だけを舞台に貼り付けて、そこらをじわっと動き回る。舞の手真似をしているのだ。舞子がしゃがむとそ

日之影・大人(おおひと)地区の「大人神楽」

日之影・大人(おおひと)地区の「大人神楽」

の子もしゃがむ。舞子が回ればその子も回る。お神楽はこんなにも子供達を捉えている。神楽の神楽たる所以だと感じられた。
 太鼓と笛だけのドン・ピーヒャララの単調なリズムと緩慢な舞が限りなく続く。眠たくなるかと思いきや、疲れを忘れて腹の底から気持ちが安らいで来るのはどうしてだろう。そう、これが日本人の身体を流れる血のテンポ、生命のリズム、細胞の働く形なのだと思われた。
 近代の舞踏や演劇の理論からすれば、いかにも素人素人した拙劣な舞、謡曲の仕舞いなどから見てもいかにも通俗の野卑な動きと映るかも知れない。しかしこれが芸事の原点というより、ここに総てがあると思われた。だから原

舞い入れの道中(大人神楽)

舞い入れの道中(大人神楽)

点という言い方を半分は認めても好いが、決して未熟なもの、未発達なものというような意味で原点などとは言えないと感じた。ここで完結成就しているものがある。ここからのいわゆる変化や進化として後に洗練された舞踊の形が出て来るというような見方は、西洋流の進化論的理屈に眼を眩まされた後知恵に過ぎまい。モダニズムは大抵が原初的生命感覚からの逸脱、悪趣味な変節だろうと思われる。
 日之影町の「日之影・大人(おおひと)神楽」を見た時は特にそう感じた。自らの故郷を信じ、神々を信じ人々を慈しむ清冽の気が、何の造作もない白装束で一晩中舞われる地元人士の神楽舞に如実に出ていた。
 今年も涼しくなったらまた、日常雑多な暮らしの中で汚されきったわが身心を浄めて貰いに、神楽の里を訪いたいと思う。  (「武道」06年7月号所収)