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滝沢語録

2007年4月28日

滝 沢 克 己 語 録  



 (一) 「あ!? 威張った、になってる。困ったなあ。これは印象悪い。」
 「でも、本当に何時頃からかなあ。昔は人に号令かけたりしていたのに、今はそんなこと出来なくなったなあ。」

 
 一九六九年『現代の事としての宗教』(法蔵館)初版の著者献本の封を解いて、第一ページを開いて「あ!」と。その「はしがき」冒頭のところで、「幼い時からむしろ武張ったことが好きで、」とあるべきところが、「威張ったこと」と誤植になっていた。(再版以降は正されていると思う。)その後、子供の頃は気性は結構激しかったという話をされて、「大人になってダメになった。」と言われたのであった。


 (二) 「人は聖霊によって生きてると言ってもね、お腹がすいている時は食べたい。物として扱ってくれないと困るよね、精神主義じゃ。」
 
 大学紛争のあった頃と思う。どこか講演か何かに呼ばれて行かれて、長時間つきあって飲まず食わずで帰らされた、ということがあったらしい。教会の関係だったように覚えているが、奥さんが「非常識よね。」と、傍で言われていた。


 (三) 「僕らは大正リベラリズムを通って来ているからね。(そこは弱いなあ。)」
 
 一九七三年ごろ、ある人がしばしばあまり訳の解らないことを言って来て、長い手紙や論文を送って来たりする。その応接に先生も弱っておられた。私が「あんなものに反論なさって、土台無駄でしょう!?」と言ったことに対する応答。「明治にはまだ気骨がありましたね。」と言うと、「そう、髭を生やしたりして」と。


 (四) 「僕の言ってることっていうのは、ノーベル賞とっても別におかしくないと思うよ。西田(幾多郎)さんも不可逆を言わないのではない。しかしそこが曖昧だよね。」

 京都の阿部正雄氏や東京の秋月龍珉氏、また本多正昭氏なども参加しておられたと思うが、可逆・不可逆論争とでも名づけたい議論が展開された時期がある。一九八〇年前後だったかと思う。誰かが、滝沢が西田に不可逆がないと批判するのは当たらないと言ったことに対して。


 (五) 「このさゆりのカバー、僕の碑の色みたいだなあ。(さゆりの絵は)いつも少し暗いところがあるのだけれども、これは明るい。」

 一九八四年、出来上がって来たばかりの『現代における人間の問題』(三一書房)を手にして。さゆりさんとは三男佐武郎氏の奥様で画家、よく個展などもされていた。その装幀の感想である。自分の碑が建つことなど意に介していた先生ではないが、遠慮のない比喩としてそういうイメージを抱かれたということ。実はその言葉が言わず語らずの漠たる根拠となって、後に滝沢克己協会で建立した記念碑の企画・実行を私(村上)は推進したのだった。


 (六) 「新しい恋人が出来たと言ったって、替わり映えしないだろうに。」
 (「でも先生、好き嫌いというのは外目には何の変哲なさそうで、しかしその微妙さが決定的ということがあるんじゃないでしょうか。」村上)
 「うん。でも、いずれ替わり映えしないだろうね。ホホホ。」

 多分一九八〇年前後(年月不詳)、恋人が出来て亭主と別れたいという、私も友達だった既婚の女性がいて、滝沢先生に相談に行きたいというから付きあったことがある。その時先生はこれということは言われなかった。後で「そりゃいいとも、別れるなとも言い難い」と漏らされていた。その後、再度その時のことが話題になっての私とのやりとり。私も必ずしも彼女の離婚を支持していたわけではない。しかし先生の言葉は、夫婦や恋人という関係の相手に対して、悟りきっているという風がある。それって、人間への希望だろうか、絶望だろうか、そんなことを思わされたことを記憶している。
 

 (七) 「九大の田辺(重三)先生は、よく自分の哲学は失敗の哲学だと言われていた。豪放な好い先生だった。哲学史とはいわば思惟の失敗の歴史だね。K・バルトは己が神学を笑うことの出来る人であったが、そこにバルトの大きさがあるね。」

 一度ならず伺った話である。だからそういう滝沢も己が神学・哲学を笑って相対化出来る人であったし、そこから弟子達には「僕を批判せよ」と言われたりもしていた。
 それは思想・学問の謙虚さと見える。謙虚に間違いないであろう。そして学問の無限の進歩ということが信じられているように思う。しかし反面、思惟の失敗というような観念は学者の粋がりのような印象も残る。失敗であろうとなかろうと精一杯、切実な思惟を生きている主体というものは確かに存在しているからである。そこのところは伺いそびれた。


 (八) 「僕でもね、ヤッー!と叫んで、石投げつけたくなるようなことって、あるものね。ホッホッホ、ホ」
 
 大学紛争の最中、1969年6月から7月にかけて、いわゆる全共闘の学生は九州大学教養部でロッカーや机を積み上げてバリケードを築き封鎖していたが、その中で自主ゼミを開催していた。そこに滝沢先生が呼ばれて「漱石と今日の大学問題」という講演をされた。僕も一緒に参加して講義風景の写真を撮ったりした。大きな教室に100人以上もの学生が聴講に来ていたと思う。
 その原稿は『人間の「原点」とは何か』(三一書房1970年刊)に収められているが、その本が出るか出ないかの時期の後日談だったように記憶する。あそこにはゲバルトやるぞ!というような学生も大分来ていたが、先生の講義はスマート過ぎる感じだったというような意味の感想を僕が言ったことに対して、先生が言われた科白である。理知的・理詰めと見える先生の文体の底には、そういうパトスが流れていたということを思う。先生はどんな場合でも決して石など投げはなさらないであろう。何処までも抑制された先生の情感の噴出と聞いた。