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坂田貞治氏追悼

2007年5月4日

私心なき強さの安らぎ
       ――坂田貞治氏の急逝を悼む



 平成17年12月14日、坂田貞治さんが急逝されました。ちょっと体調を崩され、検査入院くらいの軽いお気持ちで近所の病院に入院されたようなのです。しかしそこで帰らぬ人となられました。
 訃報を耳にしたのは数日の後でした。お身内で静かに密葬をなさったご様子でしたが、お参りに上がった時、子供の頃からのご友人という近所の方も来られていました。坂田さんのお宅の玄関前でお会いして、まだ何もご存じない風でした。「坂田が隠居したというので、隠居の気分はどうかと、自分もそろそろ仕事をやめようと思ったので聞きに来たら、いま喪中の張り紙がある。誰が?と思いましてね。」と言われる。僕はその方と二人で一緒に奥に通されて、そして奥様からご様子を聞かれながら、「そうか、いかにも坂田らしいな。」と言って線香を立てられました。振り向いて「坂田って、好い男でした」と。
 坂田さんは滝沢克己協会設立の原動力になられた方でした。山口高商時代の滝沢先生の教え子には、滝沢先生を敬慕なさる方々が多くいらっしゃいますが、その先鋭の仲間の河波早苗、石原一郎、藤井信雄、坂田貞治のお四方が申し合わされ、揃って始めに基金を拠出して私に託されました。そこから協会設立の具体的な準備が始まったのですが、その間にも坂田さんは、何でも相談に乗る、出来ることは何でもすると言われて、細々としたことにも協力を惜しまれませんでした。
 協会設立後はずっと総会議長を担って頂きました。要所を押さえたその切れの好い鮮やかな会議の采配ぶりには定評がありました。坂田さんが議長席に着かれると、それだけで皆なは安心を得られたと思います
 滝沢先生宅の敷地に建てられた滝沢克己記念碑の建立も坂田さんなしには実現しておりません。始め、石碑がすぐ無理なら俺が高札を立てようか、と言われました。此処が滝沢の本拠地であり、ここに滝沢克己がいたということを天下に知らしめようではないか、というのがその趣旨でした。ともかくも先生を記念して何時か記念碑を建てたいという秘かな腹案は、協会設立当初から大方の皆なにありましたが、それで坂田さんの提案を受けて幹事会は動くことになったのでした。記念碑の製作も坂田さんの同郷のご親友を紹介され、綺麗な立派な石碑が法外の廉価で出来上がったのであります。
 坂田さんという方は一切私心というものの見受けられない、一種頑固なまでの高潔の士であったと思います。稀に見る心性の純情な方でした。それ故にまた悪ガキのようなはにかみ屋さんでもあり、誰よりも義侠心の強い人だったと思います。
 坂田さんのような方にお会いすることは、もう望めないような気がしています。剛毅でかつ慎ましい古き佳き日本人の心性をそのまま映し出して、己の信念を徹底して生きられた坂田貞治氏の晩年だったと思われます。私心がないということは、こんなにも美しくこんなにも力強いものか。僕は坂田さんに、真っ直ぐな人間の強さと安らぎというものを教わった気がしています。もっともっと親しく話し続けていたかった、わが兄貴のような存在でした。僕も坂田さんのような生き方がしたいと思うのです。
 坂田さんの訃報に接し、とっさに去来した僕の思いの腰折れ一つ、お粗末ですけれどもご霊前に捧げたいと思います。
  朴訥に真っ直ぐに来し坂田貞治古武士のごとく黙し逝きけり
  師を思ひ人思ひつつ超然と時代を往なしはにかむ君よ