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幼な児のほほ笑み

2007年4月28日

幼な児のほほ笑み
    ――福井和美・村上一朗往復メール――

 (『思想のひろば』第16号所収・前書き)
 去る04年3月、福井徹也著『近代ヒューマニズムの外へ――法と正義をめぐる反・西洋思想史――』(創言社)が、福井氏没後の一周忌にあわせて刊行された。その様子は各新聞にも採り上げられたが、福井氏は重い障害をもって生まれた三女・はるかちゃんを残して逝った。生前診断でその子の障害は予知されていたが、夫妻は生み育てようとしたのである。そのことに触れる部分の、故福井氏夫人・和美氏と創言社の村上一朗氏との往復メールを、了承を得て掲載する。
 生前の福井氏と村上氏の間には、それを纏めれば優に一冊の大部な本になるだけのメールのやり取りがあった。苛烈な議論やデリケートな思想表現を含み、始めはその一部でも本誌に掲載出来ないものかと相談していたが、福井氏が亡くなったことでその編集も簡単に行かなくなったので、それに代えてという意味を込めたい。読者諸賢のご了承を乞う。(編集部)
            *

●3・9
 村上様
 毎日新聞と佐賀新聞の記事拝見しました。
佐賀新聞のほうは、村上さんは御覧になってないのではないかと思いますので、郵送いたします。
 写真入で大きく載せていただきました。
またもや写真がいまひとつのものだったのですが、次女を抱いている写真だったので、見た方から何件か電話をいただき、本を分けてくださいとのことでした。
 それで、本を30冊いただきたいのですが、送っていただけますか。
そして、送金方法についてお知らせ下さい。
 村上さんや皆さんの御蔭で、本ができ、そして新聞にも記事にしていただけました。
本当に、言葉では感謝の気持ちは伝え足りません。

 先日来られたときに、はるかを抱いてくださってありがとうございます。
よく皆さんから「はるかちゃんがいるから、ご主人は心配でたまらなかったでしょうね」と言われますが、私は夫ははるかがいるので安心して旅立てたと思っています。
 夫と一緒に、はるかを3年間育て、はるかがいなければ気づかなかった喜びや幸せにたくさん気づくことができました。
「さあ、あとはみんなの手を借りつつ、一人でやっていけるね」と、はるかと二人の子供を残して逝ったのだと思います。
はるかがいてくれたので、夫と一緒に私達家族が過ごす最後の3年間は、密度の濃いものになりました。
 長女、次女は、心に不安なことや何かあると、はるかに顔をすりよせて「おねえちゃんのこと好き?好き?」と聞いています。
私も同じです。「お母さんのこと好き?」と、今の自分が間違っていないか、はるかに問います。
 はるかがいつも笑顔で過ごしていれば、私達家族は道を間違っていないような気がするのです。
それでは、本の件、よろしくお願いします。
                        福井和美


●3・9
 福井和美様
メール深謝です。
佐賀新聞をどう調達しようと社内で言っていたところでした。お送りくださる由、嬉しく思います。
本30冊、発送しました。振替用紙を入れていると思います。8掛け1600円×30冊:48000円のご請求になっていると思いますが、何時でも結構ですから、よろしくお願いいたします。
本は、佐賀は佐賀駅・積文館ディトス店には配本していますので置いていると思います。書店の照会でもありました時は、そう仰って下さい。

はるかちゃんのこと、その通り、よく分かる気がします。本当にそうですね。神様です。あの何とも言えない笑顔の愛しさは、幼子はみんなそうだとは言え、この世の塵芥まみれの諸物とは異質の清らかさですね。
福井君が「生む」と決めて、九大の僕らのゼミの席で皆なにそう告げた時、僕は、ああ、この人は本物だ、と密かに感嘆を覚え、思わず涙ぐんだことを思い出します。前月までの福井君のどこか苦しそうな表情が綺麗に消えてしまっていました。

僕のその時の思いには、僕自身の内に多少の経緯と理由がありました。もし、福井君が、万一何処までも悩んで困り果てるようなことでもあれば、僕は、殺せ、と言わねばならないのではないか。自身での決断がつき難い時、どんな背中の押し方があるだろうか。一ヶ月くらい、僕も悩んでいたのです。恐らく僕が言うのでなければ誰も言えないだろう、僕が、おろしてもいいと思うと言えば、福井君を救うことにならないだろうか。言い訳を僕が作ってやらねばいけないのではないだろうか。余程メールでそういうことに触れようかと、夜になると毎日様々な逡巡を繰り返していました。しかしまた、そんなことを言う根拠も資格も理由もまるでないではないか。それは虚無ではないか等々。結局、もう一度会える次のゼミの日に確かめてから、それからメールするならしよう。そう思ってあの時は九大に出かけたのでした。

あの日、ああ、何も言えず、何も言わなくてよかった、という思いもこみ上げました。同時に瞬間、僕は福井君に何かしら大きな祝福を感じていました。確か「うーん、存在の祝福ですね」とかその場で洩らしたと思います。命の祝福と言ってもよかった。彼の肩を抱いて握手したかった。しかし恥ずかしいから、そんなそぶりは誰にも見せてはいません。
ずっとあの時の福井の表情が焼きついていて、同時に自分の心持の、一種の安堵というか、虚脱感を伴なったような安心というか、よかったというような気持ちともまた全然違う、いわく言いがたい平常心の感銘とでも言いたい気分を味わっていたことを思い出します。
以来、毎月のように福井君の表情は明るさを増し、折々にはるかちゃんのことを、可愛いくなりましたとか、昨日もこう笑っていたとか、嬉しそうに話して呉れていました。「家内に言わせるとこいつは癒し系なんです。」などとも言っていたと思います。今僕の中に立ち現れる福井はいつもにこやかな、その頃の幸せそうな福井です。

どうかまたお元気でご健闘下さい。お子さん達の健やかなご成長を陰ながら切にお祈りしております。
博多にでもお越しになるような機会でもありましたら、一度お遊びにもお越し下さい。何処まで行っても懐かしい福井の面影が僕の中で薄れるようなことはないように思います。僕にとっては実の弟や息子よりも近い存在と感じられていたのですから。
ではまた。 3・9 村上一朗
 
 
● 3・10
 村上様
 本、早速お送りくださってありがとうございます。今朝届きました。
そして早速、取りにきた私の友人もいます。
 
 はるかが生まれる前に、村上さんがそれほどまでに心配してくださっていたことは存じませんでした。ありがとうございました。
 本当に、生まれるまでは、自分の大きなお腹の中に、かわいい赤ちゃんではなく、得体の知れないなんだか恐ろしいものを抱えているような感じがして、自分の姿を恥じるような気持ちさえありました。
 目だった奇形もなく生まれたときはほっとしたものの、これから先この子を抱え、どうなるのだろうという大きな不安はありました。
 だけど、それははるかが成長するにつれ、だんだん小さくなりました。
 はるかが初めて笑顔を見せてくれたとき、福井が今まで見せたこともないようなうれしそうな顔で「笑ったっ」と言って私のほうをパッと振り返った顔が忘れられません。
 何かの折に、学生から「福井先生は胎児の命は大切だと言っていた」と聞き、それははるかを持って感じたことだろうと思いました。
 それでは、まだ肌寒い日が続きますので、お体お気をつけ下さい。
                    福井和美


● 3・11
和美様
メール、ありがとうございました。
はるかちゃんは、その存在自体で皆なを浄化してくれて行くんですね。あなたもそう言われるが、僕までもが、はるかちゃんに浄められ救われて、自分を取り戻させて貰うんだと思われます。確実に福井君はそういう生命的結構を自身に引き込んで、思索の焦点を人間的生命の最深部に絞り込み、これまでのいわゆる思想史を洗い直そうとしていた、と僕は思っています。せめてあともう数年でも、彼ともっと激しいメールのやり取りがしたかった。それだけが残念でした。
どうぞお大切に。また。 3・11村上一朗