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風景はどこで

2007年4月28日

 「風景」はどこで変るか
   <K・バルトと滝沢克己の立脚点のズレについて> 


                             

 一、「滝沢克己協会」設立に際して

 はじめまして、村上です。 
 今年6月、福岡で「滝沢克己協会」を発足させまして、皆様にも色々多大のご協力を賜りました。設立の準備に当たりました幹事の一人といたしまして、まず厚くお礼を申し上げたいと思います。その設立総会においで下さった河波さん(滝沢先生の古い教え子の方)や前田君(「滝沢克己記念会」主宰)から、東京のこの会に一度出てこいと、お誘いを受けまして、前から私も伺ってみたいと思っていましたので、喜んで今日参らせて頂いた次第です。

 前から一度ぜひお伺いしたいとは思っていましたが、それは色々皆様のご研究やお話をお伺いしたいということで、何か自分がここでおしゃべりをする、それも講演などという形でするなどとは思いもかけぬことでした。それで「何か話せ」と前田君からご連絡頂いたとき、講演という形だけは何とかお許しを頂きたいと申し上げて、ともかく閑話の談話ということにして頂きました。しかしまぁ、結局何かお話する羽目になりまして、皆様に貴重な時間を潰させるように思い恐縮致しております。それで、ともかく「滝沢克己協会」が出来ましたことでその裏方を務めましたから、その簡単なご報告を一つと、あと極めて私的な話になりましょうが滝沢先生のエピソードの二、三をご紹介して、併せて私が感じております、いわば「私にとっての課題としての滝沢」というような点に、幾らかでも触れられたらいいかな、と考えております。
 「滝沢克己協会」は、6月20日、福岡で設立協会をもちまして会長・星野元豊先生、幹事長・九州大学の三島淑臣先生、会員数およそ250人で発足いたしました。設立趣意書や規約には色々目的等うたっておりますが、要は柱は二つです。

 一つは、滝沢先生の仕事に関わる原資料を保存して、後世にちゃんと残していきたいということ。
 もう一つは、「滝沢」を契機に、現代の私達の様々な思想的課題というものを、本当に根底から捉えなおしていけるような新しい共同の場を設けてみたい、ということです。ですから、どこかファナチックな滝沢ファンクラブというような性格は全くありませんが、魂を入れるのはこれからで、漸く仏の殻だけは出来たということだろうかと思います。

 それにしても、滝沢没後9年目、どうしてもっと早くこういうものが出来なかったのかと思います。そんなこと言ってみても仕方ない話だという面と、そこには微妙に滝沢に直接、間接に、関係があったりなかったりするような、現在の私達の状況というものが反映していると見える面が、あるようにも思います。にも思うなどと、いかにも曖昧に申しますが、それはそうなのです。確かなこととしては何も言えないし、言う必要もないわけで、なぜ9年目なのかと問うたりすることはいずれつまらない話になるだろうと思います。何年目でもよい、出来たのだからさればそれを受け、そこから魂の入った活動を考える、それが大事でそれで十分だろうと思います。

 しかしなお敢えて、なぜ9年目かと自問してみます。すると少しも確かなことではないけれども、チラチラ見え隠れする微妙なものがあると思います。たとえば「滝沢協会」は出来たわけですがその6年前に、つまり先生没後3年目にはすでに前田君が「滝沢克己記念協会」を始めておられましたです。その前田保氏から、その先行の「協会」の二字をこちらに譲って頂いて「滝沢克己協会」は発足したのでして、それがため前田君はすでに封筒などに印刷されていた「記念協会」の協の一字をペンで消したりして今お使いになられている。どうして前田君にこういうことをさせねばならんのかということも一つあるわけです。そんなこと、どうでもいいよ、単なる些事だという見方はできます。前田君ご自身、また私どももそう思いますからこうなって、こうしているわけです。しかし些事に違いないとしても、どんな些事だということは考えてもよいかと思います。つまり、6年前から前田君が呼び掛けられてきた「滝沢克己記念協会」、いまは「記念会」は、その最初から、うたっていることも目的等も、今度の新しい「協会」と何一つ変らず全く同じです。それなら、なぜ先行の前田君の会だけで十分ということにならないのか。

 話は簡単で、前田君の会は個人レベルで提起され個人主宰の会だから。協会はもう少し公的に広がり、委員会制をとりますからそれで最低限の普遍性が保証されないか。大体一般的な理解はそういうものではないでしょうか。しかしそこで問うてみたいわけです。何の普遍性がどう保証され、個人主催だったらどこがいけないのか。実際はそんなこと何もないです。委員会制といったって誰が委員長になるかで多分すべて決まってしまうでしょうし、個人レベルといったって前田君の提起を素直に受けとめれば、こんどの協会と同じ発想、同じ目的です。それなのに、星野先生の名前を会長にもってきて、発起人会を作ってカラメ手で会員募集をすると、すぐ250人くらいにはなる。前田君が苦労しながら会誌を出し続け6年経って、応答される人が今何人ですか。50人くらい? 滝沢先生が生涯言い続けられた「事柄そのものを大切にする」ということからすれば、根源の思想を尋ねる共同の作業の必要という点からは、前田君の会へのもう少し積極的な反応や協力があっても、おかしくはなかろうと思います。

 しかしそうはならないんですね。そこには一体どんな力学が働いているかと考えることも、私は思想の問題に違いなかろうと思っているところがあります。委員会制は少しは公的だから、個人レベルのことより信用がおけると普通とられているでしょうけれども、それは一体何が根拠となっているでしょうか。そういう一面はあるとしても、それはかえって恐らく些細な事柄で、人間はそんな建前論だけで反応したり行動したりはしていないだろうと思います。つまり、もっともっと微妙なものがあるだろうと思います。物理的には一見明白と見える行動でも、人間の具体的な行動というのは、必ず、きっと意識の表層には出てこないような、微妙な契機、要素が含まれているだろうと思います。だから関係性において人が人に対して何か働きかけるという時には、普通、誰でもその微妙さを撃とうとして、プロパガンダの仕方とか、もっていき方とか、技術的なことをぬからぬようにと考えさせられる筈なんです。オルガナイザーの天才などという人はその機微をつく名人ということでしょうが、またそこを突かれると人はコロッとうまく騙されたりということが起ります。しかし、滝沢の思想を大事にしてお互いの共通の低みに立ち、事柄そのものの真実を大切に見て行こうというのならば、当然その共同の討議の場も大切にされ、前田君の提起ももう少しまじめに受け取られてもよいだろうと思います。批判があればどしどし批判されてよいし、それで潰れるなら潰しても構わないでしょう。しかし結果的にはいつも暗黙の無視となることが多いわけです。これはやがて、新しい「滝沢協会」も同じ構造をどこかで引き込むに相違ないのでして、いつの場合も、主催者が思うほどの反応はまずないと見るのが至当であります。

 誤解して頂くといけませんが、私は、決してそれが悪いと言っているのではないのです。それでいいんです。そういう現実にはまっている真実を見なければいけないと思うわけです。従って、協会が出来たからといってどんどん会員も増え、鋭い反応が出てきたらすばらしいと思っているわけでは必ずしもありません。そうではなく、現実の人の関係のあり方というのは、いつも理念的な建前と実態的な微妙なものとが交錯していて、いわばそのバランスの上で例えば「協会」というものの位置づけ、位相が決定され、了解されていきます。悪くいえば、個々に値踏みして相手の人間というものを見ていくだろうと思います。そういう現実をむしろ肯定的に押さえながら私は、人の関係性の現実というのはそもそもどんなものかと、あらためて顧みたいわけです。

 滝沢先生は、その著作のどこから引いてきても構いませんが、現実のリアルな人間というものを捉えて、「絶対真実主体即客体的主体」とか「絶対的被決定即自己決定」等と言われました。例えばそれを理解しようとして、頭で考えるだけでなく滝沢先生がそうなさったように、現実の冷厳な観察において、実際に自分自身の深層の真相、自分の現実というものに降ろしていって捉えたいと思います。そうすると、自分の思想や行動のはっきり表出できるもの、たとえば親切を受けて嬉しいとか、滝沢協会でこういう企画を考えようとか、すぐ説明の出来ることはいいんですが、どうもアイツは嫌いだとか、カンパは千円くらいにしておこうかとか、どこか自分の中の微妙なところで振れている考えとか、感じ方ということについて、それをどう位置づけるか、と思うことがあります。プライバシーなんて言葉があって、一種深層の微妙な面は私的なこととして片づけられがちですが、そんなことで片づけられてはならない問題があるはずだと思います。滝沢先生の言表しをかりれば、人間が生きて在るということは、「お前はどこにいるのか」「お前はなにものか」という神様からの問いかけへの応答の表現として在るということです。狭義の論文や言葉で答える、表現するというだけではなく、24時間365日すべての領域で、一瞬もその問いから外れられる時空などはないでしょう。生き方そのもの、つまり日常的な一切の些事への対応の仕方も、当然いわばその厳密度が問われてくる筈のものであります。従って、人間の関係性ということも、微妙な諸力学の集約において具体的な関係が成立しますから、そこから例えば社会学とか、組織論とかいう方法も出てきて、色々考察されることも起ります。しかし、思想的関心というものが人間を根底的に、従ってトータルに把握しようとする課題を見ているというのならば、現実の些事に見える微妙な力学をも、きっちり視野に収めるのでなければならないように思います。そうでなければ、思想を「各自、自分自身のこととして考えよ」といい、「リアルにものを見る」といいつづけた滝沢の方法は、少しも内実を伴ってこず、かえって古い形而上学の一種に堕してしまいそうに思います。それで例えば私の場合、カンパの要請を受けて、同じく有意義なものと思っても、義理や人情や利害から、カンパ壱万円することもあれば、それをいってきた人が気に入らないからやめておくということもある。滝沢先生の「神即人」という地点から見れば、人の行動のパタ-ンなんて、多分いい加減な恣意ばかりで決せられていて、いつも悪いことばかり考えているわけでもないとしても、とても、いわゆる神への「応答」の正確さなんて、及ぶものではないといわざるをえません。

 滝沢先生のいわゆる、「人間は徹底的に被主体、一個有限のものとして、真実無限無相の主体の、愛と光と力とを、どこ迄も正確に表現、体現すべく、定められて在る」ということは、建前としてはよく了解しますが、それにしても実際の姿は、背馳すること甚だしいです。総じてそれは人間の罪だと聖書にも書いてありますが、そしてそういう罪人のままでよい、「己の十字架を背負って来い」というわけで、結局救われるようですけれども、これはちょっと調子よすぎますね。微妙なところでの己の狡さや弱さ、足許のことは大体において放任され、思想や信仰の表側、建前の部分の表現性だけがひたすら厳密度を問われたり、修練・洗練の対象になるというのは、どうも生きた人間の問題を故意に切り詰めて、軽くなるための何か観念を希求している感じになります。滝沢先生はよく「体の芯が変らねばいかん」と言われていました。それでまた心の芯ということで、有名なマタイ伝では、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。」といわれたりしてきます。しかしこれ、また、困るんですね。私も、幾つになっても、やっぱり感じますから。女も困るだろうと思う。男に何も感じさせないなんて、別に女の自慢にもならないでしょう。

 つまり、何がおかしいかというと、先生の「真実主体即客体的主体」という根本規定はその通りとして、それを何か一元的に現実に当て嵌めようとすると、みんな狂ってしまいますですね。「真実主体の表現点としての客体的主体」という言い方もあります。これは先生のキーワードみたいな表現ですが、それで表現点という言い方に私はちょっと別に考えてみたいこともあるんですが、それはともかく表現点の「点」は、一人の人間と考えてもその全生活、全生涯、全世界が含まれていますから、決して一枚看板ではない。表現点は、現実には時々刻々、その所々で独特の表現性の位相、領域、性格というものが個々に割れてくるわけです。先生もそう言われています。文学、音楽、美術といった種別もその一つですし、公のレベルの表現、個的会話、ですからまた研究会、分科会、親睦会とか、みんな等しく表現だがそれぞれ固有のレベル、性格というものが決まってきます。表現性には、その時その場の人間の関係性、あるいはシチュエーションに規定されてくる位相があって、同一の内容を語るにも言葉使いやその音色が微妙に違ってくる、また違ってくるのが当然ということがあるでしょう。人間はいつも神に対しその表現性の精確度が問われている、というのは「滝沢」の根本的視座の柱だと思いますが、それなら当然、語られることの内容についてだけでなく、表現性の具体的な現実における割られ方、その時その場の、固有の位相のあり方、態度の微妙さも、その精度が問われてくるというべきです。

 建前と本音ということがあって、よく建前は偽善的で、本音を大事にしろとか言われがちですが、これも表現の位相ということを混同すると訳が分からなくなると思います。建前は建前でなければならず、本音は本音ということがあって、どちらも嘘とか無用だとかは簡単に言えないと思います。建前でなければならない場と本音をいうべき場とは違うのであって、しかも、どちらの場が本当かとか、大事かという話でもないでしょう。それをどちらかがより本当だとか、上位だとかと主張されるようになると、そこから問題が狂ってきて、結局大切な生きた実在的根底は忘却されていくように思われます。両方あるし両方要ります。建前を、学問的厳密な理論と置き換えても同様なことが言えると思います。人間が有限者だということは、同時に二つのことは出来ませんから、トータリティにおける局面局面で、その局面特有の表現性がその局面の事柄を担うということだと思います。そして、神の前では、即ち根源的には、生きた人間の諸局面としてすべての局面はまず等価の筈ですから、どの局面かの表出をもって上位だの、下位だのと考えたり主張することは、いかにも不毛な価値観です。

 それで、滝沢協会のことですが、先生の資料を保存し、またアクチュアルな思想的課題に共同で取り組みたいといっても、ここで出来ることはこの協会という独特の位相の場面の限りのことで、ここでしか出来ない、或いはここでなら出来るということをする、ということだと思います。企画の一つで、滝沢先生が昔率先して出されていた「RADIX」という雑誌を踏まえて、何かそういう思想誌の刊行を考えたいといいますと、京都の中村悦也先生などからは、そんなもの出したってどうせろくなもの出来やしないよ、と言われました。協会のメンバーを見てそう言われたのか、そもそも協会という場がダメだというのか分かりませんが、お手紙には、前田君の機関誌「いっぽ」がいい仕事をしている。「思想誌といったって、変てこな滝沢理解論争がおきて、うんざりさせられるだろうと予想しています。」とありました。そうかもしれないです。実際そうかもしれないという処で、この9年が経過したように思います。浮いた建前はともかく、微妙な力学がやがて整って時が満ちるのでなければ何事も始まりません。私はそれをゆっくり待っていると言ってみたいだけです。

 しかし、協会が出来ました。それなら委員会制の協会は、それはそれで独特の一つの役割をもつことはできるでしょう。前田君主宰の「記念会」が、同様にまた自由で個性的な会として独特の取り組みをされていくとすれば、それはきっと相補的に、私達共通の基本的な課題に資するものとして有意義だと考えます。同じことを考え、同じことをやっても場面の違いがありますから、その違いの部分に色々なヒントが醸されるということもあり得ることです。せっかくですから新しい協会も育て、「記念会」とも親しく交流して、全体として有意義で楽しい集まりが作れるといいな、と思っております。

 

 二、滝沢先生のエピソードなど 

 それで最初、私は講演というような形はどうも馴染まないと申し上げたのですが、話にはそれぞれその主客、場所、内容に関わる位相があって、私にできること、私自身の課題というところからすると、いわゆる一般的・普遍的な表現ということからはちょっと遠い、少し違った角度で感じている問題があるんです。もちろん私が感じているだけでその当否、可不可は保証の限りではありません。しかし、「滝沢」というのも私は、私自身の生存点において課題として見ていきたいと思っています。

 するとまず、絶対の真実、真理というのは、文字どうり唯一で、全人間、全歴史、全世界に貫徹しているのだから、人間の関係や歴史内部の状況如何ということには些かも左右されない、だから何時でも何処ででも真は真だということがあります。それと単に矛盾することではなくて、かえって同時に必然的に、しかし、人間における真実の表現(むしろ私は露われといいたいのですが)というものは、あくまで人間の営み、人間の言葉ですから、どれだけ厳密、精確な真理の表現といっても、相対的な限りの有効性でしかありえない、ということがまたあるわけです。そこから、人間の動態の真偽は、状況に左右されない(いわゆる第一義のインマヌエルの)原事実の真理から判じられるべし、という視点も出てきますが、しかし同時にまた、単に真は真だという一義的な方法意識だけでは、決して現実が解けないという問題も帰結するかと思われます。どんなに原事実の視座が確かなものといっても、有限の人間の一視点という以上には出る訳にはいかないだろうからです。これは夙に、いわゆる第一義と第二義のインマヌエルという、存在構造の根本関係の論として展開され、カール・バルトについての滝沢の論の中に、主題的に扱われてくる問題の一側面と思います。バルトについては、簡単にいえば、聖書主義的に見えるバルトは、しかし少しも聖書を絶対視するようなことはない、聖書を通してインマヌエルの原事実の真理を見ているというだけで、そこにバルトの神学の普遍性、明るさや力があると、滝沢先生は言われています。それにも拘らず、「イエス・キリストの御名」だけは絶対だと、バルトが言いたそうにするところに、先生は「疑問」を投げかけられたということです。

 ただ、そのことはちょと後で、時間があれば少し触れさせて頂くとして、むろん関係がないわけではありませんが、今は私が知っている先生のエピソードの二、三をご紹介してみたいと思います。

 エピソードはやはりまた、エピソードの限りのことでありまして、もしそこにこそ本音や真実があるなどと言い出すと、変なことになりますでしょうね。しかしエピソードのような場面に独特に露出してくる表現と事柄というものもあるから、きっと参考にはなります。どうかすると畢竟の問題が出ていたりします。ですから、一人の思想家を検討する時には必ず断簡零墨までを集めた「全集」が必要になる所以です。しかしまたそれ故、断簡零墨の読み方や扱い方は大事だが難しいという面があります。あまり無造作に切り捨てたり、評価しすぎて深読みするとか扱い間違いますと、読解の方法が思想的じゃなくなるだろうと思います。本当は私的、あるいは個人的に語られることや日常の生活過程と、一方、公に打ち建てられていく思想的タームの間に、そこに微妙な共鳴や背反や振動があって、思想家はその振動の間、あるいはその軸に生きている、ということがあると思います。何か分かり切ったことをもって廻った言い方をしているかも知れませんが、とりあえず私が申してみたいと思うことは単純なことで、公表される思想の言葉も私的に語られる日常の言葉も、等価だろうということです。等価だが場面が違うだけで、場面が違えば言葉の色合いもそこに見える事柄の襞の遠近や形が違ってくる。それで、その違い方の所以を、その微妙さにおいて捉えるということも、確かに思想の一つの課題だと私は思っています。

 先生のエピソードにはいる前に、これは別の方の一例ですが、私が可愛がって頂いた方で滝沢先生も夙にご存じの方ですが、相当に高名な文学者、詩人がおられます。非常に美しい、モダンで暖かい作風で知られ、温厚な、言葉の最も深い意味でヒューマニスチックな方でした。お名前明かすのはちょっと憚られます。といいますのが、今思い出して、その方のウラ話しを一つご紹介しようと思うからですが、その話がいわばキワドイ話だからであります。こういう場所だから、つまり皆様滝沢をよく押さえておられる方々の集まりという信頼がありますからお話できると思うのですが、またそれでも多数の集まりの場ですから、お名前は出しにくいと思うのでして、やはり一種微妙な話に違いないです。オフレコの話でしたから、今までまだ誰にも一度もしゃべったことはなく今日はじめて口にする話です。

 思想も生活も一貫して、文字どうり本当に積極的な掛け値なしの人道主義者でいろんな人の色んな相談にもいつも応え、いわゆる差別部落の人達からも随分慕われて親身に力を貸されていた方でした。その方がある時、私と二人酒を飲んでいる時ですが、こんなことを言われた。

 「村上君、氏より育ちというが、アレ、ウソだね。気なぐさめだよ。氏はちゃんとある。家柄の悪いものはどうしても臭いが悪い。」あるいはまた、「G君なんぞは教員の経験があって、来るときは必ず土産をもってくるが、あれ、いやしいんだ。」まるで土産をもっていったら悪いみたいですが、ともかくこんなこと、知名士でなくても公言できることではありません。公言であろうとなかろうといったん外にでも出たら、袋叩きにあうでしょうね。それでオフレコの話です。そもそも、表ではカッコイイコト言いながら、腹でそんなこと思っているから人道主義は偽善なので、そういう自己内部の差別的な感覚をこそ総括して、本当の人間の共通の低みに目覚めるべきなのに、何たることだ、というような批判は、この場合全然当たらないのです。親しかった精で私はよく分かると思うのですが、しかもそういう場で、そういう表現でしか伝えられない、人間の実情の側面の機微というのは確かにあると思います。そういうことを押さえたうえの人道主義というのは、その方には外に明らさまには出ていない厳しい人間観察に基づいているところがあって、偽善であるどころか一味も二味も味の違う、ですから人道主義というものを改めて積極的に見直したくなるような深みがありました。だから骨格の確かなところがあって幾らかは敵もあったかもしれませんが、みんなの信頼は篤かったです。 

 そういう言葉を、下手に解釈しないほうがいいのですけれども、分かりやすく言うとその方の場合、「氏より育ち」といって人は安心したがるけれども、そんな安心はできないよ、ということでもあれば、本当の本当はどうなんだということを人は常に問われているので、そういう点はどうあがいてみても臭いとして出てしまうなぁ、というように翻案しても恐らくそう違わないと思います。この方のその時の雰囲気を思い出しますと、ちょうどマタイ伝の「からだを殺しても霊を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力ある方を恐れよ。」という言葉を同時に思い浮べるようなトーンでありました。そうなら、外見の人柄は随分と柔らかい方でしたが外柔内剛の思想家でして、たとえば滝沢先生のフォルムと殆ど変るところがない、そういう方だったと思います。二、三年前に亡くなられまして、それでちょっと触れさせて頂きました。

 滝沢先生にも、キワドイ話は多々あります。いまの文学者の一見差別的な家柄発言に類するような、殆ど同じような会話を何度もしたことがあります。先生の言い方なら、「出がちがう」というようなことになるんです。「イエスは私たちとは出がちがう」とはしばしば本にも書かれています。また、田川建三さんや八木誠一さんと論争されている渦中では、相当辛辣な悪口、もう聞き方によっては明らかに本人が傷つくような、悪口もだいぶ聞きました。しかし勿論、はじめから悪口なんぞでは毛頭ないわけでして、先生は論争相手を敬愛して、・・少々敬愛しすぎたんではないかと、これまた悪口めかして言われる先輩がおられますが、ともかく大事にして、それで「こういうことに気づきようがないというのは困るんだ」と言いたくて、辛辣な比喩になることがあったと思います。

 ある時は、これも先生が大事にされた学問のよく出来る方ですが、その人が、一点どうしても先生の気に入らないことをする。それで「〇〇君は根っからの田舎者だ」と言われたことがあります。その方はどちらかというと、私の感じでは都会志向の都会的な繊細な感性の人でしたけれども、そう言われてみると、なるほど、どこかその人の一種個性的と見える部分の硬さの機微が伝わる感じがしたことがあります。こういうことは、インマヌエルの理解の深浅とか何とか、表側からの批評の文言ではどうしても届かない、オフレコでしか伝わらない、しかしれっきとした人間の批評だと思えるところがありました。

 ウーマンリブが聞いたら、頭に血がのぼって殴り込みにいきそうな話もあります。先生宅でいつものようにご馳走になって、一杯も二杯もやって、そろそろお暇しようかという時、テーブルの上の散らかりようが大分ひどいので、「ちょっと片付けておきましょう」と私が言ったんです。そうしたら先生が即座に「いいよ、女がするから」。「えっ?!」さすがに私も、咄嗟にはついていけず、一瞬たじろいで、「でも」とか何とか言って少し皿を動かしかけたりしましたら、「とし子がするから」と、今度は奥様の名前で一層強く重ねて言われた。そりゃー勿論、女といったって奥さんのほかに誰もおられなかったです。こういうことを捉えて例えば、あの滝沢でも深層の心理には女性蔑視の意識が残っていたなどと非難しても、まるでお門違いで見当外れだろうということは、皆様にはご見当つかれると思います。先生は稀にみる愛妻家でもあったこと、どんなレベルの愛妻ぶりかということは、「結婚哲学」などの著作をお読みになるだけでもお分りと思いますが、もう少し言うと、愛妻家をこえて恐妻家に近かったかも知れません。そんな言い方をすると奥様に失礼で申し訳ないような話ですが、ともかく家の中でというより、生活的のことについては先生は無能者に等しいので、奥様に頭のあがるところはまるでなかったと思います。庭の草一本、先生は引けなかったですが、屋根瓦に竹薮の笹の葉が降って、毎年梅雨入りの頃には掃除の必要があります。ハシゴに昇って屋根やトユの掃除をするのは奥様です。先生は下でハシゴを押さえて顎を突出しながら「オイ、大丈夫か」とか何とか、声をかけるくらいが関の山です。「ボクの書いたものを、なかなか家内なんかも読んでくれませんが……」と、大勢の前で先生はグチったりするんですが、奥さんにしてみれば先生は家のことは何にもしないのですから、「そんな余裕ないですよ」といわれてしまいます。

 夫婦仲がいいということで、子供さん達も夫婦喧嘩は見たことがないと言われますが、私は一度遭遇しています。小さなすれ違いは無論色々あるんです。風呂敷の包み方が、奥さんが下手だといって先生が詰る、奥さんはふくれて、「じゃ、あなたがすればいいでしょ!」先生が不満そうな顔しながらシコシコ代わって風呂敷を結ぶとか、タクシーを呼ぶと、もう二十分もまえから奥さんは玄関に出て車を待ち受ける。「まだ来やしないよ」と先生がガラにもなく大声をだす。「でも」と奥さんは佇む。するとムッとした顔ではきすてるように「バッカだなあ」。私が前にいることを一瞬の後にあらためて気づいたかのようにバツの悪そうな笑みを見せられる。とまあ、そんなことは色々ありますが、夫婦喧嘩らしい口論は晩年の話です。例の、私が『医療と宗教』という書名で出版させて頂いたあの「新興宗教の哲学」の原稿の執筆の最中、手翳しで病を癒す晴明教という教団に通われていた頃です。「晴明教なんていう新興宗教に何でそんなに深入りせねばならんのか」と、奥様が問い詰められました。勿論その時も酒を飲みながらですが、ご夫婦と私と三人で書斎に座ってずっと談笑していたのです。奥様は「あなたは甘い、そんなこと言い出したら、佐武郎のやってることはどうなるの?」というようなことも言われた。佐武郎さんというのは三男坊で医学者です。しばらくいろいろ議論があったんですが、仕舞に激しく「トシ子は頭が硬いんだから。」、「そんなことないですよ!」ということになり、これはもう相当な夫婦喧嘩でありました。私はもう無視されてしまって酒の味も落ちるし、仲をとりなす術もなく「マア、マア、」とか何とか曖昧なこといって退散しました。

 その時の、奥様の言い分は、私の言葉で敷衍してみると、どこかいかがわしい新興宗教に深入りするなんて、これまでの私たちのキリスト教信仰の流儀からすると不節操ではないか、というようなことであったと思います。それに対し先生は、自分は事実主義者だ、事実だけを大事に見ようとしているので、新興宗教と何だろうと、病気が治っているという事実を見せられる限り、その所以を考究するというのは当然だというものでありました。しかし、それがめったにそういうことのない夫婦喧嘩にまでなるということは、先生の問題意識のいかに真剣だったかという証左でもありましょうが、それが奥様を納得させ得なかったという、先生の弱さでもあったろうと私には見えます。

 天国の先生に、あまり苦笑ばかりさせてはいけませんので、もう一つ、うるわしいエピソードをご紹介します。先にちょっと触れましたように、K・バルトを誰より高く評価しながら、しかしバルトは「イエス・キリストの御名」だけは絶対視するという批判を先生は展開して、あの時あの処の歴史のイエスは、私達と同じ生身の人間だということを言われます。そういうバルト批判継続の最中でありますが、またその七・八年前にご夫婦揃って洗礼を受けられていますが、私が先生を知ってまだ一・二年の時点、一九六五年頃のことです。先生はその年一年間、二度目のドイツに出かけられました。その滞独中にドイツから奥様に出されたハガキの一枚を後で、その時どんな事由でどうして見せて頂いたのか、その状況はもうすっかり忘れてしまって思い出せませんが、そのハガキの文言の一節だけは、その筆跡の印象と共に強烈に覚えております。バルト批判の論点が「イエスの御名」をめぐってでありましたから、一層私に印象深く焼きついたのだろうと思われます。その一節とは、「わたしたちが仕合せなのはイエスさまのお陰だね。」というものでした。いま、それを想いだすにつけてもどこか涙をもよおすような、奥床しさを感じて感銘を受けるのですが、これは、あれだけ激しく人間イエスの相対化ということを、いわゆる第一義のインマヌエルの原事実という地点から言い続けられた先生の、愛する奥様へのメッセージとしてご記憶頂いてもいい文言かと想います。 

 こういう先生でありましたが、私は先生の思想あるいは神即人といわれるその「即」点について、これもまたいつも先生が強調された「事柄そのものに即して」というコンテキストにおいてそういういわば公的な先生の思想タームを、自分のなかにどう降ろせるかということばかり考えてきました。無論終始我流、自分なりにという限りの話ですが、そういう私の読み方ですから、あちこち偏ったりして何れ及ぶことでないとしても、私としてはそこにまた、先生に対する疑問も折々出てくるわけです。しかし疑問をポレミカルに先生にぶっつけて口角泡を飛ばすというような議論は殆どしたことはありません。お前も古いなあといわれそうですが、三歩下がって師の影を踏まずというような、恩義あるたった一人の先生という畏敬は倫理として大事にしたいと思ってきたこともあります。しかしそれより、言葉としてまるで言質をとるように応答を迫るというような必要を感じない、自分自身の疑問でありましたから、時々じわっとした設問を発していただけでした。例えば、「やっぱりしかし、信仰というのはイエスというような固有名詞は不可欠でしょう」とか、あるいは「親鸞の南無阿弥陀仏とアーメンが代替可能とすぐいうわけにはいかんのではないでしょうか」とか、そんな程度です。その度に先生は別に遮られたりはせず、「そうだね」といわれることが多かったですが、そういう時しばしば、「きみは牧師だなあ」とつけ加えられました。「ぼくは学者だがきみは牧師だよ」といわれたことも幾度かありました。私がずっと仲間と読書会やったりしていて、クリスマスなどにはメンバーの全員が先生の書を頂いたこともありますが、そんなことをしていたからなのかと思うこともありますが、何度もそんなこといわれたこと、今でもまだその意味を考えているところです。

 先生が亡くなって、無論キリスト教で葬儀をされましたが、生前、「笠原君のところで頼んで、骨は庭に撒いて貰うのがいいな。」と言われたことがあります。笠原君というのは先生の九大の教え子で、その後、真宗大谷派、東本願寺の僧堂にはいって修業していた人ですが、先生より先に亡くなってその遺稿集『なぜ親鸞なのか』という本は、先生の編で出版されました。ですから、まだ笠原君の元気な頃の話ですが、恐らく先生は、自分は何教で死んでも構わないと思われていたところがありますでしょう。「まことの父の御許」とか、「命の故郷」という言い方もありましたが、真実無名無相の、第一義のインマヌエルに還るということだったろうと思います。

 ここに、しかし私は、滝沢の思想の積極面と消極面と、その両方の契機が填まっているように思われます。積極面というのは、インマヌエルの原事実の、第一義と第二義の分節において、よく言われますように多宗教間の対話を拓くことが出来るとか、存在の根源への透徹した視座が据えられる、といった点であります。存在の根底的構造の開示という点で「滝沢」ならではの積極的なリアルな理論が提起されています。しかし消極面と私が申しますのは、滝沢先生自身のように硬質の思想的自覚が持てそこに生き得る人は、例えば何教で死んでもよいと自ら言えるとしても、私はそれも少し無理を感じますが、ともかく、人はもっと単純に偶像でも何でもいいというくらいに、イエスであれ南無阿弥陀仏であれ、死ぬためには、人間の弁証的語彙とは次元の違う、いわば秘儀としての決定的な具体的一語というものが要るのではないか、と思うことです。

 決して意識に取り込んでしまえない、生命性とも生存の微妙な震えとも言えるようなところに食い入って、そこで建ってくるような言葉、或いは一人の人間の全生涯が、その一語において浄化されるというような、畢竟の一語とでも言ってみましょうか。人間の生死には、何かそういう一語の切実さというものがある気がいたします。無明の人間における、そのような切実さというものが、「一切の存在の相対化」、従ってまた「その原決定への応答の精確度を問う」という、先生のいわゆる「原決定の視座」からの方法というものでは、網にはかかるが結局漏れてしまうという恐れが残るのではないかと思えるところがあるのです。

 そういう意味で、これは「私にとっての課題としての滝沢」ということで、今すぐ慌てて皆様に訴えねばならぬと焦って考えていることでもありません。「滝沢」を扱うということは、それは生きた人間そのものを丸ごと相手にする思想ということですし、全人類史を相手どってこれまで自明とみえた思想史に対峙することでもあると思います。それはそう簡単にはいかないです。しかしまた、それだけ相手に不足はない、楽しみが大きいという仕合せがあると思います。

 

 三、例えばバルトの「風景」と滝沢の「原事実」

 以上、滝沢先生のエピソードはそれはそれとしてご紹介に止めておいてよいかと思いますが、その前後で「私にとっての課題」というようなことを何かしゃべりたそうにしているところがありました。その点をもう少し補足してみたい衝動に駆られますが、それがまたなかなか的確な表現を得ませんので困ります。はじめに「滝沢克己協会」設立に関して駄弁弄しましたが、そんなこともまだ言葉足らずで少しも自分の本意に逢着せず、一つ間違うと単に通俗的なおしゃべりとして皆様の顰蹙をかいそうで全体つまらないお話をしてしまっているかもしれません。しかしその延長で、ついでにもう一つ屋上屋を架するような話になりかねませんが、自分の課題としての「滝沢」ということで触れさせて頂こうかと思いますことは、いわゆる狭義の理論的平面でその理論の整合性や認識の根底性といったことを詰めていくという、一種理念的レベルでの滝沢評価とか理解、把握、受容ということでは、何かどうしても突破できないものがある、と思わされていることであります。これを約めて「滝沢」を実際の私たちの日常の現実に降ろしてきたらどうなるか、という種類の問いだと申し上げて構わないかと思います。

 一例をあげてみます。バルトが、ローマ書を通して自らの発見の喜びを得た地点から、あの膨大な『教会教義学』を書きつづけ、そして「ここからは風景が違って見えてくる」と言ったということは、滝沢先生ご自身が直接バルトから聞かれた言葉として折々紹介されており、皆様もよくご承知のことと思います。また、同様の意味のことは滝沢先生自身は「体の芯が変らねばいかん」と言われていたことも先にちょっと触れました。この「風景が違って見えてくる」地点とか、「体の芯が変る」ということが、どんな地点でありどんなことかということは、どうしたら本当に押さえることが出来るでしょうか。どうしたらそこに立つことができるか。そことはどんなところか。するとまずは、ともかくも理念的に詰めて、理論的にも人間の根底というものが明らかに見通せるような場面でならそういえるであろうと、つい思いがちであります。滝沢先生は、それはインマヌエルの原決定、原事実の在処だといわれ、また「考えて考えて考え抜く」というようなことをしばしば申されましたから、本当によくよく考えて研究を深めていったら、よく見えるようになるだろうと思いたいわけです。しかしそうすると、恐れながら私にはそこにまた大きな陥穽が潜んでくるのではないかと感じられることがあります。まして、少しくらい考えたからといって、今の自分が理解し了解している限りの理論、理屈に基づいて、アイツよりオレの方が少しはよく見えているなどと誰彼の個人が、思想の深浅を競って何か主張できるような話でないのはもとよりです。少なくとも「体の芯」とか・・・「心の芯」といっても同じことですが、「風景の見え方」というのは、理念のレベルの話に終始するようなタームでないことだけは、はっきりしています。体ごと肉体まるごと、理念も感覚も一つになった自己存在の総体の立ち方、根底的な在り方として問われ現出してくる事柄ですから、理論的追求や理念的洗練が決して無駄の筈もないが、また決してそれだけで果たされるものであるべくもない話です。

 ここまでは大体、どなたにもご了解頂けることではないかと思います。それは誰にとってもそうなのでして、どんなヘマな関心の持ち方があるとしてもそれが思想的関心といわれる限り、ただ頭の先で舞い上がるような単なる知識だけを欲しているなどということはありえないでしょう。思想的関心というのは痩せても枯れても全歴史、全存在、全実存への関心であって、その上での専門領域、個別問題への取り組みがあると思います。浮いた、あるいは不純な理屈の獲得などという指向は論外です。それで、哲学的関心とか理論のこととしていえば、むろんそれぞれの領域でハードワークがあり、大学の研究室などでされるようにひたすらその理論が詰められ理念の洗練に全精力が傾注されるのは当然ですが、同時にそこで構築される理論が自己目的化して現実の事実から浮き上がったりするとすれば、どんなハードワークも無効であるばかりかその理論自体が不信の対象になると思います。殊に人間に関する理論というのは、その構築の営為が殆ど自己目的と見えるくらいに思想者の全重力、全生涯が懸かったものでなければ本当のものとなるまいという厳しさがあると共に、しかしまたその営為が本当に自己目的化したら元の木阿弥、困ったイデオロギーになるくらいが落ちという際どさがあると思います。

 それでも、まず殆ど自己目的となるほどのハードワークがなければ決してモノにならないだろうということは、何も理論的営為に限らない、人間の何か意味ある営為というのはどんなことであれ、全力を尽くすということなしに成るものとてありはしないでしょう。相撲取りなら明けても暮れても稽古稽古で、土俵が人生ということにならないようでは生きられないでしょうし、大工なら女房、子供を質八おいてでも生涯に一棟理想の建物を造営したいとして精進する、それが生甲斐というようなことにならなければ、一人前になる気遣いはないと言われるはずです。そんなことは現代、流行らないよといわれそうですが、それだから現代は自由になったと見える分、存在の仕方が抽象化してきて根なし草となるという、特有の危機に襲われます。ボーダレス志向はコスモポリタン、要するにニヒリズムの別名でしょう。学問や理論というのも恐らく全く同様であって、そこでアカデミックなどということが珍重されたりもするわけと思います。しかし人間の理論というのは、大工さんの技術的関心とか力士の精進というのと少し違うところがあって、滝沢先生もいつも触れておられますが、探求、考察の対象が、その探求をめざす主体自体にあるというところからくる独特の困難さ、独特の方法意識の重要さということがあります。

 学問、理論というのは、どうしたって意識的方法に関わること、意識の水準での営為です。「考えない人間なんて考えられない、必ずよく考えるか悪く考えるかのどちらかだから、よく考えるように努めようではないか」とは、デカルトとパスカルが仲良く、多少の言い方は変っていても同じように語っていることです。仏教では、意識を出る、無や空といったり、いわゆる意識を対象化しようとして更に上位の末那識とか阿頼耶識を立てたりいたしますが、やはり「識」にちがいない。その限り、いかに客観的事実といっても人間が身の丈に合わせて切り取ってきて認知する現実という以上に出ることは出来ないわけです。従って、人間の意識が孕む隘路というものは、即ちそのまま、弁証、理論、学問というものの隘路となるであろうということは、それは仕方のないことです。しかしこれが理論的方法というものに根本的矛盾を来してくると思われるわけで、例えば、「考えて考えて考え抜く」といっても、その「抜く」ということは決して考えることそのことに依拠するものではないし、「体の芯」が変るというのは、考えたから変るというものではありません。「芯」の在処や、「違った風景」を見るバルトの立脚点というのは、どう考えても、人間の理論を詰めて理念を洗練していったらやがて明らかになるというものではないと思います。

 そうすると、理論的関心とかその方法というものをどう扱い、どう見たらよいのか、理論というものの人間存在総体における位置付けが、あらためてちゃんとならないと、どこまでいっても、下手の考え休むに似たりということになりそうなのです。頼れるものは殆ど理論しかない、しかし私達の持ち合わせの理論では欲するところには行けないというのが、どうも現在の私達の思想の根本的な状況のように思われます。こんなことは、学問あるいは理論というものの宿命のようなものかどうか。そうではなく、やはり私には現代の人間の理論ないし意識というものの位置づけに、何か大きな錯覚が入ってきているのではないかと思われてなりません。こちらから、つまりいわゆる理論や自己意識からでは、決して詰め得ないような人間存在の根底の事柄を、しかしそれはまだその理論が貧しいからに過ぎないとして、私達は一層の洗練を極めようとするのではないか。人間に本質的な知的営為を徹底させ、厳密に方法化して色々重大な発見を重ねたりしていけば、やがては存在というものの根底を確と見切る地点に辿り着けるだろうと考えられているのではないでしょうか。しかしこれは、ちょうど産業資本が公害を垂れ流し、今現在これだけ地球を危機に追い込んで出口なしの状況なのに、なお将来における技術革新が信じられるかのような安易な発想で、当面の利権を貪欲に吸い上げようとするに等しいと思われます。西洋二千年来の思想史を閲して来て、巨大な遺産を引き継ぎつつ今日なお、混乱が深まりこそすれ思想的、根底的にはイエスの時代と比べても、何ほどの見通しの有効さも得られはしないわけです。

 バルトが「風景が違って見える」といった地点が、AではないBの地点、あるいは時にはCの地点というような、この世界内部の位置の違いにすぎないのならそれでもいいでしょう。しかしバルトがそんなこと言っているわけもありません。「風景の違い」は、その違った場所に立ってからしか言えないことで、まずそこに立たねば何にも始まらないような地点ということだと思います。そしてそういう処に立つことで始めて本当に実在に食い入った、必然的な理論の方法が導かれると言われているように思います。バルトは神学者、信仰者でしたから、信仰ということで捉えたら、その点はもう少し分かりやすいかと思います。生命の根底を支えてくるような人間の信仰というのは、例えば宗教学というような理論があって、それを踏査したり究明した上で正しい有効な信仰が得られる、などということは全くあり得ないことです。まずはじめに信ありきなわけで、その上でそこから考究も告白も生まれてくるでしょう。バルトの立脚点というのは、そういう存在の初発の信の地点のことだといってよいかと思います。

 そこであらためて、バルトの立脚点、「ここからは風景が違って見える」といった「ここ」とは、どんな処かと尋ねなおしてみたく思います。するとバルトは、そこはイエス・キリストの許、「イエス・キリストの御名」だと言います。世のすべてのことが、イエス・キリストに発すると。それに対し、滝沢は、バルトが「イエスの御名」というのは、西洋の神学の伝統のなかにいて、その古い思惟が払拭できずにそう言ってみせるだけなので、本当はインマヌエルの神の原決定の場、原事実のことだといいます。神の原決定の事実そのものをバルトはイエス・キリストという名で呼ぶのだと。

 滝沢先生によれば、私達を含めて一切の存在というものは、有無をいわさぬ神の原決定において、はじめて事実させられている。もうそれは認めるも認めないもない議論の余地のない事実であって、人間はただ単純にそれを受けて立ち上がるだけだ。そのように来ている原事実、インマヌエルの神の原決定(いわゆる第一義のインマヌエル)によって、私達は本当に生かされ、またそのお陰でそういう神共に在すという原事実、第一義のインマヌエルに気づかされ神の子イエス・キリストの出現にも出会うことができる。神の原決定というのは、万人万物に貫徹していて世の初めから終わりまで無条件にある事実そのものであり、そこからイエスは、二千年前のあの時あの所に姿を見せた、第一義のインマヌエルによってそこに立ち、そこを指し示した「徴」(第二義のインマヌエル)である。その限り、イエスは比類ない正確な第一義のインマヌエルの体現者であり、神の子と呼ばれて信じ仰がれるに相応しいけれども、だからといって、イエスの出現によってはじめて第一義のインマヌエルがこの世に起こったなどとバルトが言うのだとしたら、ナンセンスであり、災いである。第一義によって第二義が出現するのは必然だが、その関係は逆にはならず(不可逆)、イエスを救い主、「主」と呼ぶのは第一義のインマヌエルの先行に裏打ちされた第二義の象面の限りのことだ。滝沢のバルト批判を含む立論のおよそは、大体そういうことかと思います。それで、滝沢はいつもバルトをフォローして、バルトが「イエス・キリストの御名」に執着するのは、本当はただ神様の原決定・原事実・第一義のインマヌエルをことほどさように大事にして、それだけを指し示したかったのだといわれます。それは、当時ブルンナーやブルトマンといった神学者とバルトとの論争もあったわけですが、それらの人々やまた旧来の通俗の教会の神学というものも「イエス・キリストの御名」への執着という点では、みな共通、一致していますから、同じように「御名」といってもバルトの場合はこう違うということを、滝沢先生は強調されただろうと思います。無論それ以上に、存在の理法、事柄としてそう言われるのであって、歴史的な一人物の名前がこの世の一切の根拠だというようなバルトの言い方は、滝沢のようにその意味を解かないと、ちょっと伝わりにくいということがあるわけです。

 バルトも滝沢の論は認めていた、一応は認めていました。「一応」というのは、第一義のインマヌエルに立てば、何もイエスの御名だけが唯一と主張する必要はなくなるのであって、その御名なしでも他に替る第二義の徴は至る所にあり得るし、キリスト教以外でも真正の信仰は十分にあり得るというのが、滝沢の主張です。するとバルトは、それは「原理的には可能だが、事実的には不可能だ。」と答えるわけです。そんな認め方、言い方ってあるものかと、ここだけ取り出すと滝沢でなくとも、なんとも頑迷なバルトが居ることよと評したくなります。ここだけではない、至る所にあると思うんですが、例えば『教義学』の中の「浄土真宗批判」の箇所は、滝沢先生自身がそのテキストを訳出したうえで論じられています。そこでは、畢竟「浄土真宗」は本当の宗教ではないといい、なんとなれば「イエス・キリストの御名」がないからだと言っている。そんな無茶なといいたくなるような屁理屈に聞こえます。しかし滝沢は そういうバルトをフォローしていきます。バルトのいう「イエスの御名」は神の原決定、原事実のことを言っているので、浄土真宗にはやはりまだ、そういう原事実の認識は薄いから、バルトの批判も当たっているのだ、という風です。

 晩年のバルトは滝沢の説に大分近寄ったといわれます。『教義学』第四巻第三冊あたりになると、キリスト教以外の宗教にも、本当の信仰、救いがあるかもしれないと書いていると。しかし実際のバルトは、その程度のことなら初めからそうだったように見えるし、最後までバルトは「イエス・キリストの御名」を緩めたり手放したりは断じてしなかったわけで、滝沢が言うほど近寄ったか否かは分かりません。いずれにしても、バルトにとって「イエスの御名」は絶対的なものであり、滝沢のように相対化することだけは決して出来なかった。「出来なかった」というのは何かの事情があって不可能だったというより、バルトにとっては全くそんな必要がなかったということに相違なかろうと思います。そういうところから、あの「違った風景」を見、あの迫力に満ちた、ひろやかで美しいバルトの思惟が湧出し、説得的な神学理論が展開していたでしょう。そこにおいて滝沢の原決定、原事実の論にも深い理解を示し得たわけです。しかし、「イエス・キリストの御名」についてだけは、滝沢にあれだけ単純明快に詰め寄られても決して譲らなかった。これは、考えるとちょっと不思議なことではないでしょうか。「御名」への執着が、単にバルトの頑迷固陋な、そんなわからずやの気違いじみた固執というなら、そんな迷信家にあんな澄明で自由な、一貫して迫力に満ちた大きな仕事が展開され得たということも、また不思議な話です。

 滝沢は、その頑固さの由来は、バルトの生きた西欧の神学的環境や伝統の精だと言います。しかしそれ以上のことは殆ど何も言われていません。要するにバルトにも、そういう頑迷さはたしかにあったと言われるだけですが、何かこれは弱々しい説明に聞こえて、滝沢にしてどうしてそういう批評で止まってしまっているのか、別の意味でまた私には不思議に思われます。バルトにとっての「御名」の切実さ、大きさはとてもそんな程度の話ではなさそうに見えるからです。私は別にバルトの肩を持つつもりでも何でもない、むしろ私自身はバルトより滝沢に近いし、頑迷固陋なバルトがいても少しも構いません。しかしどうも何か変だと思われます。

 滝沢はバルトをよくフォローすると先ほど言いました。バルトの「御名」は、無論歴史のなかのイエスという特定の一人物の名を、敬し奉って丁寧に呼ぶなどということに止まることではありえない、決定的な神の原事実の理法そのものの標示だという意味で、滝沢のフォローは行き届いたものだったと思います。しかしフォローは言い換えれば解釈です。解釈していけないことは何もない、パスカルのいい方に倣えば、よき解釈か悪しき解釈かということがあるだけで、つまり理解とは解釈、ものごとをどう理解するかはどう解釈するかと同じでしょう。だからキリスト教神学なんていうこちたき学問があるといっても、要するにそれは聖書の文言の解釈のあれこれにすぎないといって、別に差し支えはないだろうと思います。釈義、解釈学というような意識的な方法論も立ってくるわけです。これは解釈ではない、事実そのもの、どこまでも客観的な理法であるといわれるようなことも、そう言われる限りにおいて同じことです。認識主体としての人間は決して神様ではなく、有限の存在だということは外すわけにはいかないことです。

 滝沢はバルトの「御名」を神の原決定、原事実の標示としてそう解釈した。それは事柄の認識として、少しも間違いではないという意味で説得力も持っているし、バルトも認めざるをえないところがありました。しかし、滝沢にとってそこからの当然で畢竟の結論とも言える「御名」の相対化だけは、バルトは決して認めない。これは滝沢の解したように単にバルトの人間的な頑迷さなのでしょうか。人は誰でも何らかの欠点はもっているから、そういう弱さにおけるミステーク、バルト神学における一汚点とでも言うべきことなのかどうか。もしそう見てそれで済むなら、バルトの「御名」の問題は簡単に整理がついていわば片づきます。しかし非常に不思議に思うのは、「イエス・キリスト」は第一の徴といってもこの世に現われた限りの徴にすぎない、それを絶対視することは即ち偶像を作ることであり、人間的な固執、不毛なドグマだと、あれだけ厳しく滝沢が批判し続けてきても、バルトは少しも動じないばかりか、その生涯において「イエス・キリストの御名」は一層輝きこそすれ、少しもその仕事の邪魔にはなっていないことです。そうすると、滝沢の「原決定」「原事実」という解釈もしくはその翻案では、「イエス・キリストの御名」に関してはまだ当たらないところがあって、ずばりそう言い切るわけにはいかない、それを言うだけでは抜けてしまうというようなファクトがありはしないかと思われます。その事実ないし事態というのは、恐らく徹底的に人間は有限者であり、どんな無限の理念も原事実の受容も、有限者の限りの営みであるというところから帰結する、神の理法の必要十分な受容の仕方が、いわば具体的な「御名」の称名に填まっているということではないかと思われます。具体的な一語の「御名」を神そのもののように崇めるということは、なるほど通俗の教会が大抵そうであるように、すぐ偶像を作ってしまう恐れがあるが、それでは偶像を廃して真の神の声なき理法そのものに聞くということになると、これまたそのような理解や理念をドグマとして自己の内に引き込み、その都度自分が了解した限りの信仰の理念で世界の一切を納得したり審いたり、結局この世にありながらこの世の根なし草となる恐れが出てくる。いずれにしても何かの偶像化が避けられないという感じです。そういう問題がまだ何ら解決されているとはいいきれないと思われます。

 無論バルトの仕事の総体の評価に吝かでなかった滝沢ですが、バルトの「御名」へのいわゆる悪しき固執の反映としては、どこまでも結論の出ないような『教会教義学』の膨大さ、その畢竟の不決着をあげています。しかしバルトの畢竟は「イエス・キリストの御名」の一語にありました。そしてそこから展開されてきた『教義学』は、なるほどドイツ人、肉食人種の体力だと感心させられるような文体とスケールのものでありますが、滝沢先生自身がそう認められるように、いつどこを読んでも面白いわけです。それなら長すぎると言って批評しても、別に根本的な批判なんかにはなりませんから、バルトの背骨は少しも揺るがないでしょう。

 どうやら私の議論はつまらないことを言って長くなりすぎたようです。理論というものがどうの、バルトがどうのと、こともあろうにその道のご専門の学者先生方のおられる前で、いい加減なことを言っているものであります。どうかお許し頂き、中途半端のままこの辺で終らせて頂こうと思いますが、それで一つの問いであります。もしバルトの「イエス・キリストの御名」への執着が、歴史や環境や人間の頑迷さの精などではなく、滝沢の批判の要旨をすべて正確に聞き取りよく分かった上で、なお維持され手放そうとはされなかったものとしたら、それはどんなものだったと考えられるでしょうか。バルトをわからずやの爺とでもおけるなら滝沢の批判で終っていると言えましょうが、もしそうでなかったとするなら、滝沢とのズレは一体何だったのか、どんな問題が残されたかともう一度よく問うてみるべき必要が生じないでしょうか。

 別に滝沢とバルトの問題とか、「イエスの御名」の問題に限らないのですが、滝沢の原理論を現実に降ろしてみようと致しますと、ことほどさように簡単にいかないことが多いです。勿論また滝沢に限ったことでもないですが、しかし滝沢先生はしばしば「頭で空想された人生というようなものならいざ知らず、実際の現実の人間は…」といった表現があって、その原理論と言われるものは根源的な存在構造の発見、指示であり、いつもリアルな現実の正確な表出ということに務められました。ですから、それを徹底させる方向で「滝沢」を読むなら読みたいと思うわけです。そうでないと、いたずらに滝沢の文言の解釈でもって、自分のいわば恣意的、理念的な内面を肥やすというような、不毛な方向に関心をひっぱってしまいそうな恐れを感じます。そういうスキが滝沢にもみられると思うからです。いかに高度の内容を秘めるといっても、所詮理屈による現実の解釈というようなレベルに終始しては、バルトが「風景が違って見える」といった地点に立って、「実際」に違った「風景」を見るということは、望むべくもないように思われるのです。お時間を頂いたことをいいことに、どうも長口舌いたしまして失礼いたしました。

        (1993・9・15 於埼玉県浦和労働会館「滝沢先生を偲ぶ会」にて)