background-image

08年春 読書会 報告

2008年5月5日

 08年春
 08年5月3日(日)村上宅
 滝沢克己『夏目漱石』第一章七節~十二節

 七節に於いて滝沢は、漱石若き日の「英文学に欺かれたるが如き不安の念」は、「英国の市民文学そのものが解くよりもむしろ引き摺っている、大いなる謎から来た。同時にそれは又自己自身の骨身に徹してこの謎の恐ろしさを経験した漱石自身の要求から来た。」(53P)と書く。英文学が引き摺っている謎というのは、シェークスピアやワーズワースを生んではいてもドストエフスキーは出なかったというような意味か、それとも今漱石を論ずるに当り、漱石やこれまでの一切の世界文学が決して解き明かし切っては来なかった謎があるということを含意するのか、或いは両方の意味を含んでいるようにも読めるが、そこは曖昧と思う。
 そして八節では、その謎に対して以降の漱石が採った道は、「ひと思いに踵を廻らして、この不安の由って来る根柢に、自分の方から打突かって行くことであった。えたいの知れぬ、巨大な人生のXと真正面から取り組むことであった。」(57P)と言う。
 かくて九節では、「彼自身を捉えて放さない本然の傾向に従った時、彼の『不安は全く消えた』のであった。」(61P)
 十節、「従って又彼が『私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるといふより新らしく建設する為に、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。一口でいふと、自己本位といふ四字を漸く考へて、其自己本位を立証する為に、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。』という時、彼がそれによって企図したのは、人間の自己そのものの成立の根柢を明かにすることがその他の一切の問題の解明のために如何に決定的に重大であるかを、特に文芸という一つの問題について、はっきりと例証することであった。」(62P)と結論づけられて行く。
 それは、「自己そのものの真実相を明らめることによって之を脱しようとする悲しい念願」であり、「世の如何なる人も之を避けることのできない、・・・・・絶対に普遍的な問題の発見であった。」(64P)と言われる。
 「十年前の英文学科の選択は、それもまた彼の『生涯の事業』として彼自身によって決意せられたという点で、『文学論』の一念発起と少しの異なるところもなかったとしても、その内面的な実質に於いては、全くその次元を異にしたものであった。前者が人生の周辺に現れる諸々の問題の一つであるに反して、後者は、人生そのものの中心に関わる唯一絶対の問題であった。前者に於いては一つの仕事に関する自己(人間)の働きが問題であるに反して、後者に於いては自己が自己自身となるか否か、人が真実に人と成るか否かが問題であった。」(64P)
 かくて十一節に至り、漱石の「自己本位」の主張は、「汝自身を知る」ことを求めた「無知なるソクラテス」に比され、そういう「最も深く且つ厳密な意味に於いての自己自身の自覚であり、人間の魂若しくは精神の目覚めであった。」(65P)ということから、いわば初期漱石の二重の謎を簡明に解き明かそうとされるのである。
 即ち、大学で始めに志した英文学に先ず絶望を感じ、次に「自己本位」という視座を得ることで新たな「文学論」の構築を決意しながら、再びその成就にも挫折した漱石がいた。それでいて晩年まで「自己本位」という拠点だけは自信を持って貫くことの出来た漱石の、漱石自身の意識を超えた「最も深い、隠れた動機」の摘出。それはつまり人間にとっての普遍的な根本問題たる自己成立の根底の究明という課題だったという指摘である。
 「何故なら、漱石にとって『自己本位』の自覚と『文学論』の計画とが同時に起ったことは疑いのない事実であるとしても、『文学論』の著述が『自己本位』を貫徹するための唯一の道とは限らないこともまた、それ以上に明白な事実だからである。」(65P)
 しかし第一章の終り十二節に於いては、その漱石の「私の個人主義」に、「多くの曖昧な点のあることを否定しようというのではない。・・・・いったい何故に、『自分の心理現象の解剖』を主な仕事としている漱石ほどの作家が、自己自身の曽ての経験の分析に於いて、このような曖昧を犯さなくてはならなかったのだろうか。」と言われる。それは、「結局に於いてやはり、人間が自己自身を明らかに知るということの免れがたい困難に由来するのではないであろうか。」(67P)<注1>と言うのである。
 「あの日以来益々強くなりつつある『自己本位』の信念とそのための撓みない努力とにも拘らず『こゝろ』を書き終った晩年の漱石にして、なおこの道を行きつくすことができなかったこと<注2>の一つの証拠ではないであろうか。」(67~68P)
 これはすでに滝沢克己『夏目漱石』全一巻の結論の在処の宣揚である。
    
 以上を以って第一章を読み終わるとすれば、後に続く漱石生涯に亘る仔細な各論も同じ視点に於いて鋭く、明解に解析されて行くであろう。滝沢の『夏目漱石』は初版昭和18年、既に古典に属する古書であるが、その後も五万と新しい漱石論が巷に溢れ出たとは言え、未だ全体としてこの滝沢の『夏目漱石』を凌駕する漱石論は歴史上出現していないと言うべきである。
 だがまた、その鋭さに於いて隘路がないかどうか。この部分における「自己成立の根柢」という問題の把握のあり方そのものに、僕らはなお再考を加うるべき余地を感じるが、それは全巻を仔細に読み上げて後、もう一度この冒頭部分に帰って来て、僕ら人間の自己自身というものがどういうものか、一から考えて見るべきかと思う。概念的に結論をとり纏めて標語にすれば済むというような問題ではないからである。
 滝沢が言うほどには漱石は、自己成立の根柢究明の必要ということは主張していない。滝沢はそれを漱石の不徹底・「曖昧」と評するのであるが、果たしてそう言って済むかどうかということもよく検討してみなければならない。
 滝沢『夏目漱石』を輪読し音韻として滝沢の文章を読むことで感受されるものには、恐らく黙読による内容理解だけでは届き兼ねるものが開かれて来るように思われる。それをもう少し深めて、生きた言葉というものの結構をもっと深く捉えられたらと思う。


 * (相川美智子の教師体験の話――子供たちの言葉の悲惨)
 読書会後の親睦会・歓談に於いて、高機能障害等の傾向をもつ、心的な不幸を背負う小学生たちに共通に見られる言語現象として、方言の喪失ということがあると美智子さんが語った。テレビ言語とでも言うべき標準語ならざる標準語というか、変則的な国籍不明の日本語とでも評すべき、肉感的な情意の乏しい抽象的・中性的言語表現しか持てない子供が見られるという。自分の気持を伝えるのにテレビの真似、テレビで見聞きした言葉に仮託する外ないらしいと考えられる。テレビでの語彙と抑揚でしか語れない子もいるのである。
 そこから、例えば幼児への絵本の読み聞かせ等は称揚すべきこととしても、肉感の伴なわない物語としてプロットの状況理解などをさせて行くことには一抹の懐疑が起こる、と。東北弁の民話を、東北に暮らしたこともない九州の子供に、同じく東北の実際の暮しを知らない親や先生が、本に採取されている東北弁で読み聞かせたりすることの、思いの外の危険ということがあるのではないか。抽象的な方言はテレビ言語と同様な国籍不明の日本語となり兼ねないのである。
 日常の具体的な暮しのエートスから切り離された言葉を、人生初発の幼児の段階で入れられては、子供がその自己認識・アイデンティティにおいて自己内部に混乱を来すということが起こるのではないであろうか。幼い魂は先ずは肉感的な言葉、地語りとでも呼ぶような暮しと密着した言葉で養われる必要があると思われる。実体と概念がバラバラにされた言葉、つまり血の通わない言葉しか持てなくなる子供の状況は、文字通り根本的な存在の悲惨の招来であろう。
 幼児には決して外国語を教えてはならないという、黒川伊保子の脳科学的日本語論等にも痛切に触発される問題があるが、現代までの教育学や言語論等の理論では覆えない、深刻な子供たちの状況が目下世界中で進行していることを感じないわけに行かない。子供の置かれた状況の異常さは、政治・経済・社会の動向の困った思潮に負うということは言うまでもないとして、それらより一層根本的な人間論や科学論の学理・学問的方法の、それこそ救い難い根底的な貧しさということの証左ではないであろうか。科学だの民主主義だの未来志向だのという軽薄な価値観に、現代の人間は何処まで惑わされて行けば気が済むのであろうか。


 * <注>
<注1>「結局に於いてやはり、人間が自己自身を明らかに知るということの免れがたい困難に由来するのではないであろうか。」(67P)
 確かにそうだしその通りと言いたいが、この一節にいわゆる「哲学の根本問題」ということを色々考えさせられる。それでこの後に稿を改めて粗雑な感想ではあるが少々書きつけておきたい。大方のご批判やご教示が得られれば幸である。

<注2>「晩年の漱石にして、なおこの道を行きつくすことができなかったこと・・・」(67~68P)
 恐らくそれは正解である。しかしこの世の一体誰が、その道の最後まで行けた、行けるというのであろうか。滝沢にはイエスの生涯の意味という規範がある。そこから見て言われているであろう。しかしイエスの出現がインマヌエル(神と人との原関係)の事実の確かな徴・完全な現れだと後に滝沢先生は力説されるけれども、それが文句なしの完全な人類普遍の真理の開示だなどとどこで言えるか。それはやはり一つの理念であり、よく出来た比類なき真理の証であると言っても、それはキリスト教信仰において言えるに過ぎないことである。
 漱石はそれとは別の生き方をして最後まで行ったのだと思える。「明暗」執筆の途上でばったりと倒れた。それで人間の一生としては充分ではなかったか。完全に存在の根底を知り切るなんて、一体誰が、人間のどういう資格で言えることであろうか。
 漱石は則天去私とは言ってもインマヌエルなどというタームには着かなかった。それだけだから、言葉は違っても同じ事実を指しているというのが滝沢の観点である。しかしそれは現代流行の比較思想研究などという方法がそうだが、明解と見えて実に危うい方法である。人間の事実の事実性というものは単なる物理的事実とは違う。だから具体的な有機的人間的事実を無機的純粋事実に還元して整理するような方法の有効性は薄い。人間の言葉やその事実には必ず独特の位相・状況・背景や意図・方向等が含まれているからである。安易な同定は一つの事実、一つの言葉に必ず付随するその場の状況や独特の含意を無用・不純な要素として無視することになる。しかしその背景や固有の場の力学・呼吸、つまり一種の不純を含まない純粋な事実や言葉というようなものは人間の世界には金輪際ないであろう。
 言葉やその表現方法は違っても同じ意味、同じ事実を指すであろうということはなるほど何時でも何処にでもある。けれどもそれらは総ての事実が人の生きている現実の場に生起している人間の事実として、根底的・抽象的次元のこととしては同次元・同性格の現象だというに過ぎない。そういう根底的同一性を人は共同性として生きているが、その共同性そのものの動態や具体的な共同現象がすでに、例えば民族や風土や言語の違いとして決定的な固有性において独得の形式で表出される。それが共同体というものであろう。共同体の共同性を捨象して更なる抽象的根底に個人を還元してしまうと、純粋個人とでも評すべき神と直接向き合うような個人は抽出出来ても、共同性において個性を発揮しつつ生きている現実の人間は見え難くなるであろう。自己の属する足許の共同体の関係性に鈍感になるだけである。
 言葉やその表現方法が違うということは生き方の流儀が違うということである。流儀とは生き方そのものである。流儀の固有性において人は生かされ、その決定的な固有の個性において人は真理の獲得も目指すし万民の根底的同一性にも至る。個性は各人にとっては超個性への絶対的な通路である。各々の生き方の流儀の違いは、違うという処で平等・対等であるが、一人の個性の生きる流儀はその個性にとっては代替不能の絶対的な流儀となる外ないのである。そうでなければ個性とも流儀ともならない。漱石は漱石自身の流儀に於いてその固有の個性を生き尽くしたのではなかったであろうか。
 よく出来た理念体系があると言っても、そういう理念の秤で別の流儀で生きる人間的主体を評定するというのは、自分たちに合わない他民族をバルバロイとして教化したり侵略したり殲滅して、キリスト教文化の許にそれを正当化して来た西洋列国の歴史的・基本的スタンスに繋がるような非人間的思想となり兼ねない。国際的であろうと近隣住民のことであろうと、思想的であろうと実態的であろうと、人間的共同の理解や連帯というものは、何より先ず人間的弱さにおける互恵・信頼の関係ということであろう。判断というものを先立てては決してその理解は人間の実相に届くものではないと思える。
 滝沢が詰まらぬ判断を先立ててものを見ていたとは思わない。誠実に事実そのものの実相を見ようとして、これほど鋭い視点は外にはなかった。しかしその方法意識になお隘路が残ると思えるのだ。それはキリスト教神学を筆頭に西洋思想史一般が孕む隘路かも知れない。知解を超える人間生態の実相を、すべて知解に収斂させ得るであろうという存在理解が前提されているからである。