background-image

08年 新年会 報告

2008年1月29日

08年新年会
 1月27日(日)村上宅
 滝沢克己『夏目漱石』第一章四節~六節

 英文学で身を立てようとし始めた若き日の漱石は、英国に留学してかえって英文学ないし英国そのものに深い幻滅を感じる。そこからどう自己を取り戻そうかと懊悩した挙句、まず「自己本位」という一語に逢着して、英国・西洋の文化なんて何するものぞ、「彼ら何者ぞや」という「独立した一個の日本人」としての「気概」・自信を得たと言う。そこから「私の個人主義」を語った。それは畢竟自分流にやるしかないし、そうでなければならぬという人間的主体の定位の主張である。そう言いながら漱石は、その後更に神経衰弱になるほどに懊悩し尽くす。それなら一体、英国において得たその自信とは何だったのか。単なる幻想に過ぎなかったのか。そう自問して滝沢先生は、その矛盾は英文学に漱石が期待したものが英文学を超えていたからであろうということを示唆する。「滝沢」においては漱石のその時逢着していたものは漱石自身の自意識を超えて、後に滝沢がいうインマヌエルの原事実に促された、その原事実への志向に他ならない。滝沢先生のここに見るような初期漱石論はそういう結論に向かっての伏線に満ちた展開になっている。
 例えば第五節末尾の論。
 「「英文学」に欺かれたるが如き不安の念が、漱石にとっていよいよ深くなって行かざるを得なかったとすれば、そこに許され得る解釈は唯二つ――英国の市民文学そのものの中に解きがたい一つの謎が含まれていたか、然らずんば漱石の英文学に期待したものが元来英文学そのものを超えていたか、その何れかであるといわなくてはならないであろう。」(39頁)
 しかしここは、英文学を超えた神と人との直接の関わり・インマヌエルの原事実というものを捉えるという視点を根底に据えている滝沢克己その人の問題意識ではあっても、必ずしも漱石のその時の状況とは言えないと思われる。なぜなら漱石が英文学を専攻したのは、漢詩等の東洋の古典と同じく英文学も面白く味わい得るであろう、という予想においてであった。しかし英文学をそれとして究めることによって、結局違ったよ、英文学なんて面白くないよと言っている漱石がいるのである。騙されたと。
 「英文学を超えたものを英文学に期待した」と言われるが、漱石は別に英文学をおとしめてはいない。それはそれで英国人がすればいい、俺のすることではなかった、方向が異質である、俺には関係なかったと言っているだけである。凄まじいばかりにそう言っている。
 「漢学に所謂文学と英語に所謂文学とは到底同定義の下に一括し得べからざる異種類のものたらざる可からず。」
 「余は生涯英国の地に一歩も吾足を踏み入るゝ事なかるべし。従って、かくの如く君等の御世話になりたる余は遂に再び君等の御世話を蒙るの期なかるべし」(「文学論」序)
 これはすでに文学論云々のレベルではない。英国文化総体・その根底的性格に対する決別の宣言ではないか。お前たちと二度と顔を会わしたくもないと言っているのだ。基本的な感覚が違うと。それを「自己本位」と言うにつけては、東洋・日本人の矜持を持ち直すというか、わが主観に居直るというか、いずれにしてもナショナルな自己のアイデンティティーの宣揚という性格の意識と言わざるを得ない。日本も英国も東洋も西洋もない人類普遍的なインマヌエルの原事実の真理への希求という方向で滝沢は漱石を論じ、そう言いたげであるが、しかし漱石の問題意識とその時の状況というのは、そういう普遍的真理というようなものとはかなりの懸隔があるように読める。
 無論、普遍的真理が大事でないと言うのではないが、普遍的真理とは一種決定的なものとして自覚される人間的主観を通してのみ現成するものであろう。人類普遍の客観的真理などという言葉に惑わされてはならない。だから漱石の自信というのは実存的でもあれば専ら主観的なものである。情緒を含めて「自己本位」という言葉そのものがそう言っている。そこで自己本位という立脚地を得て自信が持てた、不安が解消したと言いながら、その後少しも不安の解消が無いばかりか不安は一層募るだけだったが、それでいて「自己本位」を得て自信がついたのだと、不安に晒されている最中に語り得たとすれば、悪く言うなら単なる一時的な主観への居直りと見える。だがそれは、実は主観の決定性というか、積極的な意味での主体性の確立ということであって、不安も苦悩も自ら引き受けようという態度である。そういう自己における決定的な主観の確定とでも言うべき、実存的な存在理解としての主観の成就の大切さということを語ろうとしたのではなかったかと考えられる。
 主観で構わないし人間とは主観に生きる者、主観にしか生きられない者であって、その主観をまず自分自身が真底から納得出来て他人をも説得し得る本当の人間的主観にまで深めねばならぬ。だから若い君達よ、自分自身の心底において納得の行く「鉱脈」を見つけてそこに「ガチリと鶴嘴を当てる」まで進まなくては何ごとも始らないよ、と言っているのである。「私の個人主義」で漱石の語っていることは、決して普遍的真理の在処を闡明するなどという方法・内容ではなく、個の生存の充実の場というのはどんな場かということに尽きると読める。それはどんな高邁な理論であっても他人本位では決して得られないものだから、心してわが得心する道を早く見つけてそれを大事に生きろ。漱石はそう語っているのである。
 だとすると、滝沢の漱石論における初期漱石の詳しい展開は、なるほど漱石テキストの精確な読みに啓発されるし、たとえ読者が漱石全集を読み尽くしていなくとも、その頃の漱石の状況を詳説してくれているからあり難い親切である。しかし必ずしもそれは漱石理解のために必須の論とも思えないところがある。そういう詳論は懇切精確な論ではあっても、所謂「論」では人間は解けない、そういうことを漱石の苦悩は含意していたであろうからである。
 そういう性格が漱石の苦悩には嵌っていると考えられる。自己の畢生の仕事・「生涯の事業」とした筈の「文学論」をいとも簡単に「失敗の亡骸」と称し得た漱石がいるのである。それは、文学研究の専門家が文学の「論」は辞めたと言っているに等しい。それをもう一度「論」において剔抉しようとすることは、何だか無駄な営為と感じられる部分が多い。