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07年 夏合宿 報告

2007年8月28日

07年夏合宿(登山・釈迦ヶ岳)
 8月25日(土)~26日(日) 宿泊は八女・杣の里
 滝沢克己『夏目漱石』第一章・一~三節

 第1章・1~3節は、「芸術は自己の表現で始つて、自己の表現に終るものである。」という漱石の言葉(「文展と芸術」)の引用から始って、漱石の講演「私の個人主義」の主要部分の長い引用・内容紹介である。そこで漱石生涯の根本問題というのが「自己自身の本質の問題」(P23)であるとして、この滝沢「漱石論」の主題が提示される。
「我々の漱石にとってそれがすべてのものの始めであり終りであった自己自身の何であったかを、はっきりと突きとめて見なくてはならないであろう。」(P18)
 そして3節末尾には『こころ』の「先生と遺書」から「私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。・・・・」を牽いて、「この悲しみをよそにして、世に思想の実践的意義というものがあり得るかどうか。この厳しさをほかにして、世に科学的考察といわれるものが何かの意義を有ち得るかどうか。――」と、滝沢の根本的なスタンスが明解に表明されている。
 その限りではまださしたる議論の対象とはなり難い冒頭の部分だけである。ただちょっと気になる部分もなくはない。例えば3節の冒頭はこう書き始められている。
「こうして我々は、『私の個人主義』はみだりに国家社会の秩序を打ち壊すような漫然たるものではなく、却って「国家のため、社会のため」という標語が宙に浮いて党派的利己主義の偽善に利用せられないための唯一不可欠の条件であると言う漱石の弁明を、一応そのままに承認することができる。・・・」(P25)
 ここは少し読み難い。
 二重カギの『私の個人主義』は漱石の講演全体ということを指すのだろうが、そこは「個の確立」というくらいの意味であろうか。それが「唯一不可欠の条件である・・・」という総括は漱石の言葉遣いから受ける印象とは少し違う感じがする。
 漱石は、個の発展を遂げようと思うなら「同時に他人の個性も尊重」すべきだ、権力や金力を使用するなら「義務」や「責任」を「心得」「重ん」ずるべきだとは言うが、自分の「個人主義」が「唯一不可欠の条件」というような最後決定的な硬い言い方はしていないように思われる。
 また、『私の個人主義』では、腹の中が空虚だったとか、陰鬱な日々を送ったとか、不愉快ということが頻出しており、一種実存的な表白がなされている。更に、英国ひいては西洋に対して「私が独立した一個の日本人であって、・・・」と言う時、その個のイメージには一種ナショナルな観点が付着していると読める。しかしそういう点には滝沢は殆ど触れない。派生的なこととされている感じだが、果たしてそうかどうか、というような検証も今後して行きたいと思われる。